間違えて、グローバルのML”celi”の方に投稿してしまいました。
同じ内容ですが、”celi-j”に投稿しておきます。失礼しました。
昨年の5月ころから、このMLに参加しております。
5月29日に ”チェリビダッケの庭”をリクエスト
したものです。 わたしは このドキュメントを未だ
観ておりません。 でも、他の映像などから 推測して
以下の感想を持っております。
この人の、CD,LPは ずーっと ライヴ完全主義のため、レコード化されず、
なくなってから、息子さんなどの努力で、EMIと DGGにわけて、ライヴの
ソースを 順次 CD化されつつ あります。
なにしろ、フルトヴェングラーの後、ベルリン・フィルのポストを、カラヤンと
競った人で、いわば指揮の巨匠時代の匂ぷんぷんの、最後の大指揮者です。
何回かの、凝縮された演奏会で教えられたことは、音楽はそこでつくっていくもの
だと言うような事を実感しました。 聴衆もふくめての、あるいは聴衆をも飲み込ん\\
だ
演奏会だったからです。オーケストラが自然に語りかけるのを待っているのか、それ\
を
誘い出す力は凄いものがあったんでしょう。 そのように作られべくして、作られた
生の”音楽”はけっして、複製には向かない一回性の消えてなくなる芸術だと、...
彼のリハーサルでの楽員との会話風景では、なんでもない音楽上の事柄が、
実に奥が深く、自然の摂理の謎を解くように説明されるのです。彼の音楽への
情熱が、単に音楽だけでなく、様々な問題と深く関わりあい、その中で
最高の条件を模索しながら、オーケストラ全員で音楽を創りあげていく過程が
よく解ると思います。
彼は、オーケストラが自分の力量で、自分のイディオムを使って、自分を表現
出来る手助けをしてるようです。 期が塾すまで、必要な練習と、時間をそそぎ
じっくりと音楽を構築していきます。 凄く、合理的な西洋人の側面と、あわてず、
静観し、音楽が熟成するのを待つという様な東洋人の哲学も合わせ持つ、素晴らしい
人物です。
それに、実際にオケを指導しているシーンを見てみると実に沢山のことを、
伝えていることがわかります。 あまりない映像のデータですが、極めて貴重な
ものだと思っています。 ドキュメンタリーとしても、異彩をはなつものだと
思います。
ときたま、投稿しますので、今後ともよろしく
お願い致します。
-- Hideyasu Ohmi E-mail: ohmi at mei9.advantest.co.jp