現代日本の開化/夏目漱石

Sorry for the writing in Japanese only

このページは、漱石の表記講演を読み、自分なりに全体の論理構成を整理した結果を下記の形式にまとめたものです。
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もくじパネル
出典:青空文庫 <http://www.aozora.gr.jp/>
現代日本の開化
――明治四十四年八月和歌山において述――
夏目漱石

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)迂余曲折《うよきょくせつ》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)琥珀の中に時々|蠅《はえ》が入ったのがある。
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  • 近畿地方 和歌山
  • 玉津島 紀三井寺

 はなはだお暑いことで、こう暑くては多人数お寄合いになって演説などお聴きになるのは定めしお苦しいだろうと思います。ことに承《うけたまわ》れば昨日も何か演説会があったそうで、そう同じ催しが続いてはいくらあたらない保証のあるものでも多少は流行過《はやりすぎ》の気味で、お聴きになるのもよほど御困難だろうと御察し申します。が演説をやる方の身になって見てもそう楽ではありません。ことにただいま牧君の紹介で漱石君の演説は迂余曲折《うよきょくせつ》の妙があるとか何とかいう広告めいた賛辞をちょうだいした後に出て同君の吹聴通《ふいちょうどお》りをやろうとするとあたかも迂余曲折の妙を極めるための芸当を御覧に入れるために登壇したようなもので、いやしくもその妙を極めなければ降りることができないような気がして、いやが上にやりにくい羽目に陥《おちい》ってしまう訳であります。実はここへ出て参る前ちょっと先番の牧君に相談をかけた事があるのです。これは内々ですが思い切って打明けて御話ししてしまいます。と云うほどの秘密でもありませんが、全くのところ今日の講演は長時間諸君に対して御話をする材料が不足のような気がしてならなかったから、牧さんにあなたの方は少しは伸ばせますかと聞いたのです。すると牧君は自分の方は伸ばせば幾らでも伸びると気丈夫《きじょうぶ》な返事をしてくれたので、たちまち親船《おやぶね》に乗ったような心持になって、それじゃア少し伸ばしていただきたいと頼んでおきました。その結果として冒頭だか序論だかに私の演説の短評を試みられたのはもともと私の注文から出た事ではなはだありがたいには違ないけれども、その代り厭《いや》にやり悪《にく》くなってしまった事もまた争われない事実です。元来がそう云う情ない依頼をあえてするくらいですから曲折どころではない、真直《まっすぐ》に行き当ってピタリと終《しま》いになるべき演説であります。なかなかもって抑揚頓挫《よくようとんざ》波瀾曲折《はらんきょくせつ》の妙を極めるだけの材料などは薬にしたくも持合せておりません。とそう言ったところで何もただボンヤリ演壇に登った訳でもないので、ここへ出て来るだけの用意は多少準備して参ったには違ないのです。もっとも私がこの和歌山へ参るようになったのは当初からの計画ではなかったのですが、私の方では近畿地方を所望したので社の方では和歌山をその中《うち》へ割り振ってくれたのです。御蔭《おかげ》で私もまだ見ない土地や名所などを捜る便宜を得ましたのは好都合です。そのついでに演説をする――のではない演説のついでに玉津島だの紀三井寺などを見た訳でありますからこれらの故跡や名勝に対しても空手《からて》では参れません。御話をする題目はちゃんと東京表《とうきょうおもて》できめて参りました。

  • 現代日本の開化
  • 現代 日本
  • 日本 開化
  • 現代 開化

 その題目は「現代日本の開化」と云うので、現代と云う字は下へ持って来ても上へ持って来ても同じ事で、「現代日本の開化」でも「日本現代の開化」でも大して私の方では構いません。「現代」と云う字があって「日本」と云う字があって「開化」と云う字があって、その間へ「の」の字が入っていると思えばそれだけの話です。何の雑作《ぞうさ》もなくただ現今の日本の開化と云う、こういう簡単なものです。その開化をどうするのだと聞かれれば、実は私の手際《てぎわ》ではどうもしようがないので、私はただ開化の説明をして後はあなた方の御高見に御任せするつもりであります。では開化を説明して何になる? とこう御聞きになるかも知れないが、私は現代の日本の開化という事が諸君によく御分りになっているまいと思う。御分りになっていなかろうと思うと云うと失礼ですけれども、どうもこれが一般の日本人によく呑《の》み込めていないように思う。私だってそれほど分ってもいないのです。けれどもまず諸君よりもそんな方面に余計頭を使う余裕のある境遇におりますから、こういう機会を利用して自分の思ったところだけをあなた方に聞いていただこうというのが主眼なのです。どうせあなた方も私も日本人で、現代に生れたもので、過去の人間でも未来の人間でも何でもない上に現に開化の影響を受けているのだから、現代と日本と開化と云う三つの言葉は、どうしても諸君と私とに切っても切れない離すべからざる密接な関係があるのは分り切った事ですが、それにもかかわらず、御互に現代の日本の開化について無頓着《むとんじゃく》であったり、または余りハッキリした理会《りかい》をもっていなかったならば、万事に勝手が悪い訳だから、まあ互に研究もし、また分るだけは分らせておく方が都合が好かろうと思うのであります。それについては少し学究めきますが、日本とか現代とかいう特別な形容詞に束縛されない一般の開化から出立してその性質を調べる必要があると考えます。御互いに開化と云う言葉を使っておって、日に何遍も繰返《くりかえ》しているけれども、はたして開化とはどんなものだと煎《せん》じつめて聞き糺《ただ》されて見ると、今まで互に了解し得たとばかり考えていた言葉の意味が存外喰違っていたりあるいはもってのほかに漠然《ばくぜん》と曖昧《あいまい》であったりするのはよく有る事だから私はまず開化の定義からきめてかかりたいのです。

  • 写真の汽車
  • 琥珀の中の蠅
  • 巡査 騎兵
  • むずかしい定義論

 もっとも定義を下すについてはよほど気をつけないととんでもない事になる。これをむずかしく言いますと、定義を下せばその定義のために定義を下されたものがピタリと糊細工《のりざいく》のように硬張《こわば》ってしまう。複雑な特性を簡単に纏《まと》める学者の手際《てぎわ》と脳力とには敬服しながらも一方においてその迂濶《うかつ》を惜まなければならないような事が彼らの下した定義を見るとよくあります。その弊所をごく分りやすく一口に御話すれば生きたものを故《わざ》と四角四面の棺《かん》の中へ入れてことさらに融通が利《き》かないようにするからである。もっとも幾何学などで中心から円周に到《いた》る距離がことごとく等しいものを円と云うというような定義はあれで差支《さしつかえ》ない、定義の便宜があって弊害のない結構なものですが、これは実世間に存在する円《まる》いものを説明すると云わんよりむしろ理想的に頭の中にある円というものをかく約束上とりきめたまでであるから古往今来変りっこないのでどこまでもこの定義一点張りで押して行かれるのです。その他四角だろうが三角だろうが幾何的に存在している限りはそれぞれの定義でいったん纏《まと》めたらけっして動かす必要もないかも知れないが、不幸にして現実世の中にある円とか四角とか三角とかいうもので過去現在未来を通じて動かないものははなはだ少ない。ことにそれ自身に活動力を具《そな》えて生存するものには変化消長がどこまでもつけ纏《まと》っている。今日の四角は明日の三角にならないとも限らないし、明日の三角がまたいつ円く崩《くず》れ出さないとも云えない。要するに幾何学のように定義があってその定義から物を拵《こしら》え出したのでなくって、物があってその物を説明するために定義を作るとなると勢いその物の変化を見越してその意味を含ましたものでなければいわゆる杓子定規《しゃくしじょうぎ》とかでいっこう気の利《き》かない定義になってしまいます。ちょうど汽車がゴーッと馳《か》けて来る、その運動の一瞬間すなわち運動の性質の最も現われ悪《にく》い刹那《せつな》の光景を写真にとって、これが汽車だこれが汽車だと云ってあたかも汽車のすべてを一枚の裏《うち》に写し得たごとく吹聴《ふいちょう》すると一般である。なるほどどこから見ても汽車に違ありますまい。けれども汽車に見逃してはならない運動というものがこの写真のうちには出ていないのだから実際の汽車とはとうてい比較のできないくらい懸絶していると云わなければなりますまい。御存じの琥珀《こはく》と云うものがありましょう。琥珀の中に時々|蠅《はえ》が入ったのがある。透《す》かして見ると蠅に違ありませんが、要するに動きのとれない蠅であります。蠅でないとは言えぬでしょうが活きた蠅とは云えますまい。学者の下す定義にはこの写真の汽車や琥珀の中の蠅に似て鮮《あざや》かに見えるが死んでいると評しなければならないものがある。それで注意を要するというのであります。つまり変化をするものを捉《とら》えて変化を許さぬかのごとくピタリと定義を下す。巡査と云うものは白い服を着てサーベルを下げているものだなどとてんからきめられた日には巡査もやりきれないでしょう。家《うち》へ帰って浴衣《ゆかた》も着換える訳に行かなくなる。この暑いのに剣ばかり下げていなければすまないのは可哀想だ。騎兵とは馬に乗るものである。これも御尤《ごもっとも》には違ないが、いくら騎兵だって年が年中馬に乗りつづけに乗っている訳にも行かないじゃありませんか。少しは下りたいでさア。こう例を挙《あ》げれば際限がないから好加減《いいかげん》に切り上げます。実は開化の定義を下す御約束をしてしゃべっていたところがいつの間《ま》にか開化はそっち退《の》けになってむずかしい定義論に迷い込んではなはだ恐縮です。がこのくらい注意をした上でさて開化とは何者だと纏《まと》めてみたら幾分か学者の陥りやすい弊害を避け得られるしまたその便宜をも受ける事ができるだろうと思うのです。

  • 和歌の浦

 でいよいよ開化に出戻りを致しますが、開化と云うものも、汽車とか蠅とか巡査とか騎兵とか云うようなもののごとくに動いている。それで開化の一瞬間をとってカメラにピタリと入れて、そうしてこれが開化だと提《さ》げて歩く訳には行きません。私は昨日和歌の浦を見物しましたが、あすこを見た人のうちで和歌の浦は大変|浪《なみ》の荒い所だと云う人がある。かと思うと非常に静かな所だと云う人もある。どっちがよいのか分らない。だんだん聞いて見ると、一方は浪の非常に荒い時に行き、一方は非常に静かな時に行った違から話がこう表裏して来たのである。固《もと》より見た通なんだから両方とも嘘《うそ》ではない。がまた両方とも本当でもない。これに似寄りの定義は、あっても役に立たぬことはない。が、役に立つと同時に害をなす事も明かなんだから、開化の定義と云うものも、なるべくはそう云う不都合を含んでいないように致したいのが私の希望であります。が、そうするとボンヤリして来る。恨《うら》むらくはボンヤリして来る。けれどもボンヤリしてもほかのものと区別ができればそれでよいでしょう。さっき牧君の紹介があったように夏目君の講演はその文章のごとく時とすると門口から玄関へ行くまでにうんざりする事があるそうで誠に御気の毒の話だが、なるほどやってみるとその通り、これでようやく玄関まで着きましたから思いきって本当の定義に移りましょう。

  • 人間活力の発現の経路

 開化は人間活力の発現の経路である。と私はこう云いたい。私ばかりじゃない、あなた方だってそういうでしょう。もっともそう云ったところで別に書物に書いてある訳でも何でもない、私がそう言いたいまでの事であるがその代り珍らしくも何ともない。がこれすこぶる漠然《ばくぜん》としている。前口上を長々述べ立てた後でこのくらいの定義を御吹聴《ごふいちょう》に及んだだけではあまり人を馬鹿にしているようですが、まあそこから定めてかからないと曖昧《あいまい》になるから、実はやむをえないのです。それで人間の活力と云うものが今申す通り時の流を沿うて発現しつつ開化を形造って行くうちに私は根本的に性質の異った二種類の活動を認めたい、否確かに認めるのであります。

  • 積極的 活力消耗の趣向 義務
  • 消極的 活力節約の行動 道楽

 その二通りのうち一つは積極的のもので、一つは消極的のものである。何か月並のような講釈をしてすみませんが、人間活力の発現上積極的と云う言葉を用いますと、勢力の消耗を意味する事になる。またもう一つの方はこれとは反対に勢力の消耗をできるだけ防ごうとする活動なり工夫《くふう》なりだから前のに対して消極的と申したのであります。この二つの互いに喰違って反《そり》の合わないような活動が入り乱れたりコンガラカッたりして開化と云うものが出来上るのであります。これでもまだ抽象的でよくお分りにならないかも知れませんが、もう少し進めば私の意味は自《おのずか》ら明暸《めいりょう》になるだろうと信じます。元来人間の命とか生《せい》とか称するものは解釈次第でいろいろな意味にもなりまたむずかしくもなりますが要するに前《ぜん》申したごとく活力の示現とか進行とか持続とか評するよりほかに致し方のない者である以上、この活力が外界の刺戟《しげき》に対してどう反応するかという点を細かに観察すればそれで吾人人類の生活状態もほぼ了解ができるような訳で、その生活状態の多人数の集合して過去から今日に及んだものがいわゆる開化にほかならないのは今さら申上げるまでもありますまい。さて吾々《われわれ》の活力が外界の刺戟《しげき》に反応する方法は刺戟の複雑である以上|固《もと》より多趣多様千差万別に違ないが、要するに刺戟の来るたびに吾が活力をなるべく制限節約してできるだけ使うまいとする工夫と、また自ら進んで適意の刺戟を求め能《あと》うだけの活力を這裏《しゃり》に消耗して快を取る手段との二つに帰着してしまうよう私は考えているのであります。で前のを便宜《べんぎ》のため活力節約の行動と名づけ後者をかりに活力消耗の趣向とでも名づけておきましょうが、この活力節約の行動はどんな場合に起るかと云えば現代の吾々が普通用いる義務という言葉を冠して形容すべき性質の刺戟《しげき》に対して起るのであります。従来の徳育法及び現今とても教育上では好んで義務を果す敢為邁往《かんいまいおう》の気象《きしょう》を奨励するようですがこれは道徳上の話で道徳上しかなくてはならぬもしくはしかする方が社会の幸福だと云うまでで、人間活力の示現を観察してその組織の経緯一つを司《つかさ》どる大事実から云えばどうしても今私が申し上げたように解釈するよりほか仕方がないのであります。吾々もお互に義務は尽さなければならんものと始終思い、また義務を尽した後は大変心持が好いのであるが、深くその裏面に立ち入って内省して見ると、願《ねがわ》くはこの義務の束縛を免《まぬ》かれて早く自由になりたい、人から強《し》いられてやむをえずする仕事はできるだけ分量を圧搾《あっさく》して手軽に済ましたいという根性が常に胸の中《うち》につけまとっている。その根性が取《とり》も直《なお》さず活力節約の工夫《くふう》となって開化なるものの一大原動力を構成するのであります。

 かく消極的に活力を節約しようとする奮闘に対して一方ではまた積極的に活力を任意随所に消耗しようという精神がまた開化の一半を組み立てている。その発現の方法もまた世が進めば進むほど複雑になるのは当然であるが、これをごく約《つづ》めてどんな方面に現われるかと説明すればまず普通の言葉で道楽という名のつく刺戟《しげき》に対し起るものだとしてしまえば一番早分りであります。道楽と云えば誰も知っている。釣魚《つり》をするとか玉を突くとか、碁《ご》を打つとか、または鉄砲を担《かつ》いで猟に行くとか、いろいろのものがありましょう。これらは説明するがものはないことごとく自から進んで強《し》いられざるに自分の活力を消耗して嬉《うれ》しがる方であります。なお進んではこの精神が文学にもなり科学にもなりまたは哲学にもなるので、ちょっと見るとはなはだむずかしげなものも皆道楽の発現に過ぎないのであります。

  • 汽車 汽船 電信 電話 自動車 飛行器
  • 歩いて行きたい 疲労を求める 散歩

 この二様の精神すなわち義務の刺戟に対する反応としての消極的な活力節約とまた道楽の刺戟に対する反応としての積極的な活力消耗とが互に並び進んで、コンガラカッて変化して行って、この複雑|極《きわま》りなき開化と云うものができるのだと私は考えています。その結果は現に吾々が生息している社会の実況を目撃すればすぐ分ります。活力節約の方から云えばできるだけ労働を少なくしてなるべくわずかな時間に多くの働きをしようしようと工夫する。その工夫が積《つも》り積って汽車汽船はもちろん電信電話自動車大変なものになりますが、元を糺《ただ》せば面倒を避けたい横着心の発達した便法に過ぎないでしょう。この和歌山市から和歌の浦までちょっと使いに行って来いと言われた時に、出来得るなら誰しも御免蒙《ごめんこうむ》りたい。がどうしても行かなければならないとすればなるべく楽に行きたい、そうして早く帰りたい。できるだけ身体《からだ》は使いたくない。そこで人力車もできなければならない訳になります。その上に贅沢《ぜいたく》を云えば自転車にするでしょう。なおわがままを云い募《つの》ればこれが電車にも変化し自動車または飛行器にも化けなければならなくなるのは自然の数であります。これに反して電車や電話の設備があるにしても是非今日は向うまで歩いて行きたいという道楽心の増長する日も年に二度や三度は起らないとも限りません。好んで身体を使って疲労を求める。吾々が毎日やる散歩という贅沢も要するにこの活力消耗の部類に属する積極的な命の取扱方の一部分なのであります。がこの道楽気の増長した時に幸に行って来いという命令が下ればちょうど好いが、まあたいていはそう旨《うま》くは行かない。云いつかった時は多く歩きたくない時である。だから歩かないで用を足す工夫《くふう》をしなければならない。となると勢い訪問が郵便になり、郵便が電報になり、その電報がまた電話になる理窟《りくつ》です。つまるところは人間生存上の必要上何か仕事をしなければならないのを、なろう事ならしないで用を足してそうして満足に生きていたいというわがままな了簡《りょうけん》、と申しましょうかまたはそうそう身を粉《こ》にしてまで働いて生きているんじゃ割に合わない、馬鹿にするない冗談《じょうだん》じゃねえという発憤の結果が怪物のように辣腕《らつわん》な器械力と豹変《ひょうへん》したのだと見れば差支《さしつかえ》ないでしょう。

  • 距離が縮まる 時間が縮まる 手数が省ける
  • 画がかきたい 本が読みたい 学問が好き
  • 和歌の浦 さがり松 権現様 紀三井寺 エレヴェーター

 この怪物の力で距離が縮《ちぢ》まる、時間が縮まる、手数が省《はぶ》ける、すべて義務的の労力が最少低額に切りつめられた上にまた切りつめられてどこまで押して行くか分らないうちに、彼の反対の活力消耗と名づけておいた道楽|根性《こんじょう》の方もまた自由わがままのできる限りを尽して、これまた瞬時の絶間なく天然自然と発達しつつとめどもなく前進するのである。この道楽根性の発展も道徳家に言わせると怪《け》しからんとか言いましょう。がそれは徳義上の問題で事実上の問題にはなりません。事実の大局から云えば活力を吾好むところに消費するというこの工夫精神は二六時中休みっこなく働いて、休みっこなく発展しています。元々社会があればこそ義務的の行動を余儀なくされる人間も放り出しておけばどこまでも自我本位に立脚するのは当然だから自分の好《す》いた刺戟《しげき》に精神なり身体なりを消費しようとするのは致し方もない仕儀である。もっとも好いた刺戟に反応して自由に活力を消耗すると云ったって何も悪い事をするとは限らない。道楽だって女を相手にするばかりが道楽じゃない。好きな真似《まね》をするとは開化の許す限りのあらゆる方面に亘《わた》っての話であります。自分が画がかきたいと思えばできるだけ画ばかりかこうとする。本が読みたければ差支ない以上本ばかり読もうとする。あるいは学問が好《すき》だと云って、親の心も知らないで、書斎へ入って青くなっている子息《むすこ》がある。傍《はた》から見れば何の事か分らない。親父が無理算段の学資を工面《くめん》して卒業の上は月給でも取らせて早く隠居でもしたいと思っているのに、子供の方では活計《くらし》の方なんかまるで無頓着《むとんじゃく》で、ただ天地の真理を発見したいなどと太平楽を並べて机に靠《もた》れて苦《にが》り切っているのもある。親は生計のための修業と考えているのに子供は道楽のための学問とのみ合点《がてん》している。こういうような訳で道楽の活力はいかなる道徳学者も杜絶《とぜつ》する訳にいかない。現にその発現は世の中にどんな形になって、どんなに現れているかと云うことは、この競争|劇甚《げきじん》の世に道楽なんどとてんでその存在の権利を承認しないほど家業に励精《れいせい》な人でも少し注意されれば肯定しない訳に行かなくなるでしょう。私は昨晩和歌の浦へ泊りましたが、和歌の浦へ行って見ると、さがり松だの権現様《ごんげんさま》だの紀三井寺だのいろいろのものがありますが、その中に東洋第一海抜二百尺と書いたエレヴェーターが宿の裏から小高い石山の巓《いただき》へ絶えず見物を上げたり下げたりしているのを見ました。実は私も動物園の熊のようにあの鉄の格子《こうし》の檻《おり》の中に入って山の上へ上げられた一人であります。があれは生活上別段必要のある場所にある訳でもなければまたそれほど大切な器械でもない、まあ物数奇《ものずき》である。ただ上ったり下ったりするだけである。疑もなく道楽心の発現で、好奇心兼広告欲も手伝っているかも知れないが、まあ活計向《くらしむき》とは関係の少ないものです。これは一例ですが開化が進むにつれてこういう贅沢《ぜいたく》なものの数が殖《ふ》えてくるのは誰でも認識しない訳に行かないでしょう。のみならずこの贅沢が日に増し細かくなる。大きなものの中に輪が幾つもできて漏斗《じょうご》みたようにだんだん深くなる。と同時に今まで気のつかなかった方面へだんだん発展して範囲が年々広くなる。

 要するにただいま申し上げた二つの入り乱れたる経路、すなわちできるだけ労力を節約したいと云う願望から出て来る種々の発明とか器械力とか云う方面と、できるだけ気儘《きまま》に勢力を費したいと云う娯楽の方面これが経となり緯となり千変万化|錯綜《さくそう》して現今のように混乱した開化と云う不可思議な現象ができるのであります。

  • 生活ははなはだ苦しい
  • 昔より楽になっていない
  • 苦しさ加減は変りない

 そこでそう云うものを開化とすると、ここに一種妙なパラドックスとでも云いましょうか、ちょっと聞くとおかしいが、実は誰しも認めなければならない現象が起ります。元来なぜ人間が開化の流れに沿うて、以上二種の活力を発現しつつ今日に及んだかと云えば生れながらそう云う傾向をもっていると答えるよりほかに仕方がない。これを逆に申せば吾人の今日あるは全くこの本来の傾向あるがためにほかならんのであります。なお進んで云うと元《もと》のままで懐手《ふところで》をしていては生存上どうしてもやり切れぬから、それからそれへと順々に押され押されてかく発展を遂げたと言わなければならないのです。してみれば古来何千年の労力と歳月を挙《あ》げてようやくの事現代の位置まで進んで来たのであるからして、いやしくもこの二種類の活力が上代から今に至る長い時間に工夫し得た結果として昔よりも生活が楽になっていなければならないはずであります。けれども実際はどうか? 打明けて申せば御互の生活ははなはだ苦しい。昔の人に対して一歩も譲らざる苦痛の下に生活しているのだと云う自覚が御互にある。否開化が進めば進むほど競争がますます劇《はげ》しくなって生活はいよいよ困難になるような気がする。なるほど以上二種の活力の猛烈な奮闘で開化は贏《か》ち得たに相違ない。しかしこの開化は一般に生活の程度が高くなったという意味で、生存の苦痛が比較的柔げられたという訳ではありません。ちょうど小学校の生徒が学問の競争で苦しいのと、大学の学生が学問の競争で苦しいのと、その程度は違うが、比例に至っては同じことであるごとく、昔の人間と今の人間がどのくらい幸福の程度において違っているかと云えば――あるいは不幸の程度において違っているかと云えば――活力消耗活力節約の両工夫において大差はあるかも知れないが、生存競争から生ずる不安や努力に至ってはけっして昔より楽になっていない。否昔よりかえって苦しくなっているかも知れない。昔は死ぬか生きるかのために争ったものである。それだけの努力をあえてしなければ死んでしまう。やむをえないからやる。のみならず道楽の念はとにかく道楽の途《みち》はまだ開けていなかったから、こうしたい、ああしたいと云う方角も程度も至って微弱なもので、たまに足を伸したり手を休めたりして、満足していたくらいのものだろうと思われる。今日は死ぬか生きるかの問題は大分超越している。それが変化してむしろ生きるか生きるかと云う競争になってしまったのであります。生きるか生きるかと云うのはおかしゅうございますが、Aの状態で生きるかBの状態で生きるかの問題に腐心しなければならないという意味であります。活力節減の方で例を引いてお話をしますと、人力車を挽《ひ》いて渡世《とせい》にするか、または自動車のハンドルを握って暮すかの競争になったのであります。どっちを家業にしたって命に別条はないにきまっているが、どっちへ行っても労力は同じだとは云われません。人力車を挽く方が汗がよほど多分に出るでしょう。自動車の御者《ぎょしゃ》になってお客を乗せれば――もっとも自動車をもつくらいならお客を乗せる必要もないが――短い時間で長い所が走れる。糞力《くそぢから》はちっとも出さないですむ。活力節約の結果楽に仕事ができる。されば自動車のない昔はいざ知らず、いやしくも発明される以上人力車は自動車に負けなければならない。負ければ追つかなければならない。と云う訳で、少しでも労力を節減し得て優勢なるものが地平線上に現われてここに一つの波瀾《はらん》を誘うと、ちょうど一種の低気圧と同じ現象が開化の中に起って、各部の比例がとれ平均が回復されるまでは動揺してやめられないのが人間の本来であります。積極的活力の発現の方から見てもこの波動は同じことで、早い話が今までは敷島《しきしま》か何か吹かして我慢しておったのに、隣りの男が旨《うま》そうに埃及煙草《エジプトたばこ》を喫《の》んでいるとやっぱりそっちが喫みたくなる。また喫んで見ればその方が旨《うま》いに違ない。しまいには敷島などを吹かすものは人間の数へ入らないような気がして、どうしても埃及へ喫み移らなければならぬと云う競争が起って来る。通俗の言葉で云えば人間が贅沢《ぜいたく》になる。道学者は倫理的の立場から始終《しじゅう》奢侈《しゃし》を戒《いま》しめている。結構には違ないが自然の大勢に反した訓戒であるからいつでも駄目に終るという事は昔から今日《こんにち》まで人間がどのくらい贅沢になったか考えて見れば分る話である。かく積極消極両方面の競争が激しくなるのが開化の趨勢《すうせい》だとすれば、吾々は長い時日のうちに種々様々の工夫を凝《こら》し智慧《ちえ》を絞《しぼ》ってようやく今日まで発展して来たようなものの、生活の吾人の内生に与える心理的苦痛から論ずれば今も五十年前もまたは百年前も、苦しさ加減の程度は別に変りはないかも知れないと思うのです。それだからしてこのくらい労力を節減する器械が整った今日でも、また活力を自由に使い得る娯楽の途《みち》が備った今日でも生存の苦痛は存外|切《せつ》なものであるいは非常という形容詞を冠らしてもしかるべき程度かも知れない。これほど労力を節減できる時代に生れてもその忝《かたじ》けなさが頭に応《こた》えなかったり、これほど娯楽の種類や範囲が拡大されても全くそのありがたみが分らなかったりする以上は苦痛の上に非常という字を附加しても好いかも知れません。これが開化の産んだ一大パラドックスだと私は考えるのであります。

  • 西洋の開化は内発的
  • 現代日本の開化は外発的

 これから日本の開化に移るのですが、はたして一般的の開化がそんなものであるならば、日本の開化も開化の一種だからそれでよかろうじゃないかでこの講演は済んでしまう訳であります。がそこに一種特別な事情があって、日本の開化はそういかない。なぜそうは行かないか。それを説明するのが今日の講演の主眼である。と申すと玄関を上ってようやく茶の間あたりへ来たくらいの気がして驚くでしょう。しかしそう長くはありません、奥行は存外短かい講演です。やってる方だって長いのは疲れますからできるだけ労力節約の法則に従って早く切り上げるつもりですから、もう少し辛抱して聴いて下さい。

 それで現代の日本の開化は前に述べた一般の開化とどこが違うかと云うのが問題です。もし一言にしてこの問題を決しようとするならば私はこう断じたい、西洋の開化(すなわち一般の開化)は内発的であって、日本の現代の開化は外発的である。ここに内発的と云うのは内から自然に出て発展するという意味でちょうど花が開くようにおのずから蕾《つぼみ》が破れて花弁が外に向うのを云い、また外発的とは外からおっかぶさった他の力でやむをえず一種の形式を取るのを指したつもりなのです。もう一口説明しますと、西洋の開化は行雲流水のごとく自然に働いているが、御維新後外国と交渉をつけた以後の日本の開化は大分勝手が違います。もちろんどこの国だって隣づき合がある以上はその影響を受けるのがもちろんの事だから吾《わが》日本といえども昔からそう超然としてただ自分だけの活力で発展した訳ではない。ある時は三韓また或時は支那という風に大分外国の文化にかぶれた時代もあるでしょうが、長い月日を前後ぶっ通しに計算して大体の上から一瞥《いちべつ》して見るとまあ比較的内発的の開化で進んで来たと云えましょう。少なくとも鎖港排外の空気で二百年も麻酔したあげく突然西洋文化の刺戟《しげき》に跳《は》ね上ったぐらい強烈な影響は有史以来まだ受けていなかったと云うのが適当でしょう。日本の開化はあの時から急劇に曲折し始めたのであります。また曲折しなければならないほどの衝動を受けたのであります。これを前の言葉で表現しますと、今まで内発的に展開して来たのが、急に自己本位の能力を失って外から無理押しに押されて否応《いやおう》なしにその云う通りにしなければ立ち行かないという有様になったのであります。それが一時ではない。四五十年前に一押し押されたなりじっと持ち応《こた》えているなんて楽《らく》な刺戟《しげき》ではない。時々に押され刻々に押されて今日に至ったばかりでなく向後何年の間か、またはおそらく永久に今日のごとく押されて行かなければ日本が日本として存在できないのだから外発的というよりほかに仕方がない。その理由は無論明白な話で、前《ぜん》詳《くわ》しく申上げた開化の定義に立戻って述べるならば、吾々が四五十年間始めてぶつかった、また今でも接触を避ける訳に行かないかの西洋の開化というものは我々よりも数十倍労力節約の機関を有する開化で、また我々よりも数十倍娯楽道楽の方面に積極的に活力を使用し得る方法を具備した開化である。粗末な説明ではあるが、つまり我々が内発的に展開して十の複雑の程度に開化を漕ぎつけた折も折、図《はか》らざる天の一方から急に二十三十の複雑の程度に進んだ開化が現われて俄然《がぜん》として我らに打ってかかったのである。この圧迫によって吾人はやむをえず不自然な発展を余儀なくされるのであるから、今の日本の開化は地道にのそりのそりと歩くのでなくって、やッと気合を懸けてはぴょいぴょいと飛んで行くのである。開化のあらゆる階段を順々に踏んで通る余裕をもたないから、できるだけ大きな針《はり》でぼつぼつ縫って過ぎるのである。足の地面に触れる所は十尺を通過するうちにわずか一尺ぐらいなもので、他の九尺は通らないのと一般である。私の外発的という意味はこれでほぼ御了解になったろうと思います。

  • 心は絶間なく動いている
  • 開化の推移は内発的でなければ嘘

 そういう外発的の開化が心理的にどんな影響を吾人に与うるかと云うとちょっと変なものになります。心理学の講筵《こうえん》でもないのにむずかしい事を申上げるのもいかがと存じますが、必要の個所だけをごく簡易に述べて再び本題に戻るつもりでありますから、しばらく御辛抱《ごしんぼう》を願います。我々の心は絶間なく動いている。あなた方は今私の講演を聴いておいでになる、私は今あなた方を前に置いて何か言っている、双方共にこういう自覚がある。それに御互の心は動いている。働いている。これを意識と云うのであります。この意識の一部分、時に積れば一分間ぐらいのところを絶間なく動いている大きな意識から切り取って調べてみるとやはり動いている。その動き方は別に私が発明した訳でも何でもない、ただ西洋の学者が書物に書いた通りをもっともと思うから紹介するだけでありますが、すべて一分間の意識にせよ三十秒間の意識にせよその内容が明暸《めいりょう》に心に映ずる点から云えば、のべつ同程度の強さを有して時間の経過に頓着《とんじゃく》なくあたかも一つ所にこびりついたように固定したものではない。必ず動く。動くにつれて明かな点と暗い点ができる。その高低を線で示せば平たい直線では無理なので、やはり幾分か勾配《こうばい》のついた弧線すなわち弓形《ゆみがた》の曲線で示さなければならなくなる。こんなに説明するとかえって込み入ってむずかしくなるかも知れませんが、学者は分った事を分りにくく言うもので、素人《しろうと》は分らない事を分ったように呑込《のみこ》んだ顔をするものだから非難は五分五分である。今云った弧線とか曲線とかいう事をそっと砕いてお話をすると、物をちょっと見るのにも、見てこれが何であるかと云うことがハッキリ分るには或る時間を要するので、すなわち意識が下の方から一定の時間を経て頂点へ上って来てハッキリして、ああこれだなと思う時がくる。それをなお見つめていると今度は視覚が鈍くなって多少ぼんやりし始めるのだからいったん上の方へ向いた意識の方向がまた下を向いて暗くなりかける。これは実験して御覧になると分る。実験と云っても機械などは要《い》らない。頭の中がそうなっているのだからただ試《ため》しさえすれば気がつくのです。本を読むにしてもAと云う言葉とBと云う言葉とそれからCという言葉が順々に並んでいればこの三つの言葉を順々に理解して行くのが当り前だからAが明かに頭に映る時はBはまだ意識に上らない。Bが意識の舞台に上り始める時にはもうAの方は薄ぼんやりしてだんだん識域《しきいき》の方に近づいてくる。BからCへ移るときはこれと同じ所作《しょさ》を繰返《くりかえ》すに過ぎないのだから、いくら例を長くしても同じ事であります。これは極《きわ》めて短時間の意識を学者が解剖して吾々に示したものでありますが、この解剖は個人の一分間の意識のみならず、一般社会の集合意識にも、それからまた一日一月もしくは一年|乃至《ないし》十年の間の意識にも応用の利《き》く解剖で、その特色は多人数になったって、長時間に亘《わた》ったって、いっこう変りはない事と私は信じているのであります。例えて見ればあなた方という多人数の団体が今ここで私の講演を聴いておいでになる。聴いていない方もあるかも知れないが、まア聴いているとする。そうするとその個人でない集合体のあなた方の意識の上には今私の講演の内容が明かに入る。と同時に、この講演に来る前あなた方が経験された事、すなわち途中で雨が降り出して着物が濡《ぬ》れたとか、また蒸《む》し暑くて途中が難儀であったとかいう意識は講演の方が心を奪うにつれて、だんだん不明暸《ふめいりょう》不確実になってくる。またこの講演が終って場外に出て涼しい風に吹かれでもすれば、ああ好い心持だという意識に心を専領されてしまって講演の方はピッタリ忘れてしまう。私から云えば全くありがたくない話だが事実だからやむをえないのである。私の講演を行住坐臥《ぎょうじゅうざが》共に覚えていらっしゃいと言っても、心理作用に反した注文なら誰も承知する者はありません。これと同じようにあなた方と云うやはり一箇の団体の意識の内容を検して見るとたとえ一カ月に亘ろうが一年に亘ろうが一カ月には一カ月を括《くく》るべき炳乎《へいこ》たる意識があり、また一年には一年を纏《まと》めるに足る意識があって、それからそれへと順次に消長しているものと私は断定するのであります。吾々も過去を顧《かえり》みて見ると中学時代とか大学時代とか皆特別の名のつく時代でその時代時代の意識が纏《まとま》っております。日本人総体の集合意識は過去四五年前には日露戦争の意識だけになりきっておりました。その後日英同盟の意識で占領された時代もあります。かく推論の結果心理学者の解剖を拡張して集合の意識やまた長時間の意識の上に応用して考えてみますと、人間活力の発展の経路たる開化というものの動くラインもまた波動を描いて弧線を幾個《いくつ》も幾個も繋《つな》ぎ合せて進んで行くと云わなければなりません。無論描かれる波の数は無限無数で、その一波一波の長短も高低も千差万別でありましょうが、やはり甲の波が乙の波を呼出し、乙の波がまた丙《へい》の波を誘い出して順次に推移しなければならない。一言にして云えば開化の推移はどうしても内発的でなければ嘘《うそ》だと申上げたいのであります。ちょっとした話が私は今ここで演説をしている。するとそれを御聞きになるあなたがたの方から云えば初めの十分間くらいは私が何を主眼に云うかよく分らない、二十分目ぐらいになってようやく筋道がついて、三十分目くらいにはようやく油がのって少しはちょっと面白くなり、四十分目にはまたぼんやりし出し、五十分目には退屈を催し、一時間目には欠伸《あくび》が出る。とそう私の想像通り行くか行かないか分りませんが、もしそうだとするならば、私が無理にここで二時間も三時間もしゃべっては、あなた方の心理作用に反して我《が》を張ると同じ事でけっして成功はできない。なぜかと云えばこの講演がその場合あなた方の自然に逆《さから》った外発的のものになるからであります。いくら咽喉《のど》を絞《しぼ》り声を嗄《か》らして怒鳴《どな》ってみたってあなたがたはもう私の講演の要求の度を経過したのだからいけません。あなた方は講演よりも茶菓子が食いたくなったり酒が飲みたくなったり氷水が欲しくなったりする。その方が内発的なのだから自然の推移で無理のないところなのである。

  • 国民はどこかに空虚の感
  • どこかに不満と不安の念
  • 皮相上滑り

 これだけ説明しておいて現代日本の開化に後戻をしたらたいてい大丈夫でしょう。日本の開化は自然の波動を描いて甲の波が乙の波を生み乙の波が丙の波を押し出すように内発的に進んでいるかと云うのが当面の問題なのですが残念ながらそう行っていないので困るのです。行っていないと云うのは、先程《さきほど》も申した通り活力節約活力消耗の二大方面においてちょうど複雑の程度二十を有しておったところへ、俄然《がぜん》外部の圧迫で三十代まで飛びつかなければならなくなったのですから、あたかも天狗《てんぐ》にさらわれた男のように無我夢中で飛びついて行くのです。その経路はほとんど自覚していないくらいのものです。元々開化が甲の波から乙の波へ移るのはすでに甲は飽《あ》いていたたまれないから内部欲求の必要上ずるりと新らしい一波を開展するので甲の波の好所も悪所も酸いも甘いも甞《な》め尽した上にようやく一生面を開いたと云って宜《よろ》しい。したがって従来経験し尽した甲の波には衣を脱いだ蛇《へび》と同様未練もなければ残り惜しい心持もしない。のみならず新たに移った乙の波に揉《も》まれながら毫《ごう》も借り着をして世間体を繕《つくろ》っているという感が起らない。ところが日本の現代の開化を支配している波は西洋の潮流でその波を渡る日本人は西洋人でないのだから、新らしい波が寄せるたびに自分がその中で食客《いそうろう》をして気兼《きがね》をしているような気持になる。新らしい波はとにかく、今しがたようやくの思で脱却した旧《ふる》い波の特質やら真相やらも弁《わきま》えるひまのないうちにもう棄《す》てなければならなくなってしまった。食膳《しょくぜん》に向って皿の数を味い尽すどころか元来どんな御馳走《ごちそう》が出たかハッキリと眼に映じない前にもう膳を引いて新らしいのを並べられたと同じ事であります。こういう開化の影響を受ける国民はどこかに空虚の感がなければなりません。またどこかに不満と不安の念を懐《いだ》かなければなりません。それをあたかもこの開化が内発的ででもあるかのごとき顔をして得意でいる人のあるのは宜しくない。それはよほどハイカラです、宜しくない。虚偽でもある。軽薄でもある。自分はまだ煙草《たばこ》を喫《す》っても碌《ろく》に味さえ分らない子供の癖に、煙草を喫ってさも旨《うま》そうな風をしたら生意気でしょう。それをあえてしなければ立ち行かない日本人はずいぶん悲酸《ひさん》な国民と云わなければならない。開化の名は下せないかも知れないが、西洋人と日本人の社交を見てもちょっと気がつくでしょう。西洋人と交際をする以上、日本本位ではどうしても旨く行きません。交際しなくともよいと云えばそれまでであるが、情けないかな交際しなければいられないのが日本の現状でありましょう。しかして強いものと交際すれば、どうしても己を棄てて先方の習慣に従わなければならなくなる。我々があの人は肉刺《フォーク》の持ちようも知らないとか、小刀《ナイフ》の持ちようも心得ないとか何とか云って、他を批評して得意なのは、つまりは何でもない、ただ西洋人が我々より強いからである。我々の方が強ければあっちこっちの真似《まね》をさせて主客の位地《いち》を易《か》えるのは容易の事である。がそう行かないからこっちで先方の真似をする。しかも自然天然に発展してきた風俗を急に変える訳にいかぬから、ただ器械的に西洋の礼式などを覚えるよりほかに仕方がない。自然と内に醗酵《はっこう》して醸《かも》された礼式でないから取ってつけたようではなはだ見苦しい。これは開化じゃない、開化の一端とも云えないほどの些細《ささい》な事であるが、そういう些細な事に至るまで、我々のやっている事は内発的でない、外発的である。これを一言にして云えば現代日本の開化は皮相|上滑《うわすべ》りの開化であると云う事に帰着するのである。無論一から十まで何から何までとは言わない。複雑な問題に対してそう過激の言葉は慎《つつし》まなければ悪いが我々の開化の一部分、あるいは大部分はいくら己惚《うぬぼ》れてみても上滑《うわすべ》りと評するより致し方がない。しかしそれが悪いからお止《よ》しなさいと云うのではない。事実やむをえない、涙を呑《の》んで上滑りに滑って行かなければならないと云うのです。

  • じみちに発展の順序を尽す
  • 神経衰弱

 それでは子供が背《せな》に負われて大人といっしょに歩くような真似をやめて、じみちに発展の順序を尽して進む事はどうしてもできまいかという相談が出るかも知れない。そういう御相談が出れば私も無い事もないと御答をする。が西洋で百年かかってようやく今日に発展した開化を日本人が十年に年期をつづめて、しかも空虚の譏《そしり》を免《まぬ》かれるように、誰が見ても内発的であると認めるような推移をやろうとすればこれまた由々しき結果に陥《おちい》るのであります。百年の経験を十年で上滑《うわすべ》りもせずやりとげようとするならば年限が十分一に縮《ちぢ》まるだけわが活力は十倍に増さなければならんのは算術の初歩を心得たものさえ容易《たやす》く首肯するところである。これは学問を例に御話をするのが一番早分りである。西洋の新らしい説などを生噛《なまかじ》りにして法螺《ほら》を吹くのは論外として、本当に自分が研究を積んで甲の説から乙の説に移りまた乙から丙に進んで、毫《ごう》も流行を追うの陋態《ろうたい》なく、またことさらに新奇を衒《てら》うの虚栄心なく、全く自然の順序階級を内発的に経て、しかも彼ら西洋人が百年もかかってようやく到着し得た分化の極端に、我々が維新後四五十年の教育の力で達したと仮定する。体力脳力共に吾らよりも旺盛《おうせい》な西洋人が百年の歳月を費したものを、いかに先駆の困難を勘定《かんじょう》に入れないにしたところでわずかその半《なかば》に足らぬ歳月で明々地に通過し了《おわ》るとしたならば吾人はこの驚くべき知識の収穫を誇り得ると同時に、一敗また起《た》つ能《あた》わざるの神経衰弱に罹《かか》って、気息奄々《きそくえんえん》として今や路傍に呻吟《しんぎん》しつつあるは必然の結果としてまさに起るべき現象でありましょう。現に少し落ちついて考えてみると、大学の教授を十年間一生懸命にやったら、たいていの者は神経衰弱に罹《かか》りがちじゃないでしょうか。ピンピンしているのは、皆|嘘《うそ》の学者だと申しては語弊があるが、まあどちらかと云えば神経衰弱に罹る方が当り前のように思われます。学者を例に引いたのは単に分りやすいためで、理窟《りくつ》は開化のどの方面へも応用ができるつもりです。

 すでに開化と云うものがいかに進歩しても、案外その開化の賜《たまもの》として吾々の受くる安心の度は微弱なもので、競争その他からいらいらしなければならない心配を勘定《かんじょう》に入れると、吾人の幸福は野蛮時代とそう変りはなさそうである事は前《ぜん》御話しした通りである上に、今言った現代日本が置かれたる特殊の状況に因《よ》って吾々の開化が機械的に変化を余儀なくされるためにただ上皮《うわかわ》を滑って行き、また滑るまいと思って踏張《ふんば》るために神経衰弱になるとすれば、どうも日本人は気の毒と言わんか憐《あわ》れと言わんか、誠に言語道断の窮状に陥ったものであります。私の結論はそれだけに過ぎない。ああなさいとか、こうしなければならぬとか云うのではない。どうすることもできない、実に困ったと嘆息するだけで極めて悲観的の結論であります。こんな結論にはかえって到着しない方が幸であったのでしょう。真と云うものは、知らないうちは知りたいけれども、知ってからはかえってアア知らない方がよかったと思う事が時々あります。モーパサンの小説に、或男が内縁の妻に厭気《いやき》がさしたところから、置手紙か何かして、妻を置き去りにしたまま友人の家へ行って隠れていたという話があります。すると女の方では大変怒ってとうとう男の所在《ありか》を捜し当てて怒鳴《どな》り込《こ》みましたので男は手切金を出して手を切る談判を始めると、女はその金を床《ゆか》の上に叩《たた》きつけて、こんなものが欲しいので来たのではない、もし本当にあなたが私を捨てる気ならば私は死んでしまう、そこにある(三階か四階の)窓から飛下りて死んでしまうと言った。男は平気な顔を装ってどうぞと云わぬばかりに女を窓の方へ誘う所作《しょさ》をした。すると女はいきなり馳《か》けて行って窓から飛下りた。死にはしなかったが生れもつかぬ不具になってしまいました。男もこれほど女の赤心が眼の前へ証拠立てられる以上、普通の軽薄な売女同様の観をなして、女の貞節を今まで疑っていたのを後悔したものと見えて、再びもとの夫婦に立ち帰って、病妻の看護に身を委《ゆだ》ねたというのがモーパサンの小説の筋ですが、男の疑も好い加減な程度で留めておけばこれほどの大事には至らなかったかも知れないが、そうすれば彼の懐疑は一生徹底的に解ける日は来なかったでしょう。またここまで押してみれば女の真心《まごころ》が明かになるにはなるが、取返しのつかない残酷な結果に陥った後から回顧して見れば、やはり真実|懸価《かけね》のない実相は分らなくても好いから、女を片輪にさせずにおきたかったでありましょう。日本の現代開化の真相もこの話と同様で、分らないうちこそ研究もして見たいが、こう露骨にその性質が分って見るとかえって分らない昔の方が幸福であるという気にもなります。とにかく私の解剖した事が本当のところだとすれば我々は日本の将来というものについてどうしても悲観したくなるのであります。外国人に対して乃公《おれ》の国には富士山があるというような馬鹿は今日はあまり云わないようだが、戦争以後一等国になったんだという高慢な声は随所に聞くようである。なかなか気楽な見方をすればできるものだと思います。ではどうしてこの急場を切り抜けるかと質問されても、前《ぜん》申した通り私には名案も何もない。ただできるだけ神経衰弱に罹《かか》らない程度において、内発的に変化して行くが好かろうというような体裁の好いことを言うよりほかに仕方がない。苦《にが》い真実を臆面《おくめん》なく諸君の前にさらけ出して、幸福な諸君にたとい一時間たりとも不快の念を与えたのは重々|御詫《おわび》を申し上げますが、また私の述べ来《きた》ったところもまた相当の論拠と応分の思索の結果から出た生真面目《きまじめ》の意見であるという点にも御同情になって悪いところは大目に見ていただきたいのであります。

底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房
   1988(昭和63)年7月26日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年4月〜1972(昭和47)年1月に刊行
入力:柴田卓治
校正:大野晋
2000年2月1日公開
2000年12月16日修正
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