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チェリビダッケとカーティス・オーケストラ

1996年9月26日
ジョン・ケリー
John Kelly <Johnk54250 at aol.com>

私はチェリの生演奏を聞く3回の特権を得ました。 それぞれの演奏会は忘れがたいものでした。ひとつはロンドンで、ロンドン交響楽団と、ティペットによる真夏の婚礼から「典礼舞曲」のとても豪華な演奏をチェリは演じてくれました。ここで私達はそれらすべてのリハーサルの重要性を知りました(あのロンドン・オーケストラは通例の幾分短かな時間を費やしていました)。力強い変化は壮麗に現実のものとなり、その夜チェリが成したものに匹敵するこの曲の録音を私はかつて聞いた事がありません。

けれども、最も印象的だったのは、1984年にカーネギー・ホールで カーティス音楽院学生オーケストラと開いた彼の演奏会でした。ロッシーニ「どろぼうかささぎ」序曲で彼はプログラムを開始しましたが、それはこの指揮者の聴き手が彼の折り紙付きを直接認識するであろう柔和な解釈でした。これはドビュッシーの「イベリア」へとすぐに続きました。わたしは彼がロンドンの演奏会で同じものを演じるのも聞いていましたが、これは等しく素晴らしい 思い焦がれるテンポの解釈、きめの細やかさ、そして誠実な情感でした。

本当の名演奏は休憩の後にやって来ました。チェリは フルトヴェングラーもしくはストコフスキーと思わせる「前奏曲と愛の死」の解釈を与えました。これは火のように燃え立つ激情の解釈ではなく、極上の美感で、ダイナミックスの制御はほどんど信じがたく、そしてオーケストラはフィラデルフィアでの常雇いの楽員達よりもかなり良く演奏しました。

事実、次の宵、私はムーティとのフィラデルフィア・オーケストラを聞くために同じホールに来ていました、そして相違は直ちに明らかでした。チェリの学生オーケストラは、ムーティ配下の力強いフィラデルフィアよりも、調和し洗練されて鳴り響きました! そしてこれは私だけの意見ではありません! 休憩時間にフィラデルフィア・オーケストラのある一人の演奏家が私に、「昨晩あの若者達がここで演奏した後に、今晩出かけることに私は恥じている」と告白しました。そしてそれは全く本当でした。

ワーグナーは雲を通して充満する日光の如く「愛の死」に花開きました。 それは真に地上の楽園の瞬間でした。至福を垣間見て、聴衆の中に私の周囲で誰かが聞き取れる程のあえぎをもたらしました。「彼のした事は全く信じがたい」聴衆の一人がその後、私に言いました。

最後の曲はプロコフィエフの「スキタイ組曲」でした。外の指揮者のように、ただ騒がしいのではなく、しかし印象的な力と芸術上の戯れの揺らめく解釈でした。第二部がアンコールされました。 カーネギーでの別の毎夜、完全にリハーサルされた最上のオーケストラが果てしなくパレードする市中で、ニューヨークはこのパートナーシップにより陶酔しました。彼ら学生はベルリン・フィルへ行きはしないでしょうが、しかし彼らは天国のようでした、そしてチェリビダッケは常に私の記憶に、真実の音楽をもたらす事のできた、そして響きに気を掛けた指揮者として、生き続けるでしょう。真実、霊感を受け感銘しました。

ジョン・ケリー

Akira Tagata のチェリビダッケ・ページへの投稿は私の喜びです。チェリもしくは外の偉大な指揮者に関する便り(John Kelly <Johnk54250 at aol.com>)を歓迎いたします。

Copyright 1996 John Kelly
translated by Akira Tagata

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