セルジュ・チェリビダッケは1996年8月14日に、 パリの南方約70キロにあるフランスの小さな村ヌヴィーユ・シュール・エソンヌ(Neuville-sur-Essonne)で没した。 この村に彼は水車小屋の家を所有しており、シーズンオフにはここで過ごすことを楽しみにしていたことでも知られている。この建物は、シュミット=ガレの映像記録でも目にすることが出来るが、 ここで若い音楽家の指導などもしていた様子が収められている。またウムバッハ『チェリビダッケ』の中でも、 最終章の「私人の田園交響曲(Die Pastorale des Privatiers)」で、 この村の水車小屋を購入するに至った経緯についての記載がある。
1996年8月16日に、この小さな村の教会で葬儀がとりおこなわれ、 教会から500メートル離れた村の墓地に埋葬された。葬儀と葬列への参列者は約100名に及んだという。 この村は、交通機関の面からは極めて不便な場所で、一番近くの町まで鉄道を利用しても、そこからさらにタクシーなどを利用して村まで行く必要がありそうな場所である。
私は1997年4月に春パリを訪れた際、 パリ在住の日本人の方(Niftyserveクラシック音楽フォーラム会員)のご厚意で、同氏の所有する詳細な道路地図を頼りに、 パリから現地まで車で案内していただくことが出来た。今回、ここで写真を公開できるのも、 同氏のおかげであることを付記して謝意を表したいと思う。
Grave 1, Grave 2, Grave 3, Grave 4 が、ヌヴィーユ・シュール・エソンヌの村の墓地にあるチェリビダッケのお墓である。Grave 1の後方中央に見える塔のある建物が、葬儀が行われた村の教会である。Grave 4の写真から明らかなように、 墓に刻まれたチェリビダッケのスペルが"CELEBIDACHI" となっていることが注目される。
Bar Restaurant は看板にも書かれているように "Au Bon Coin" という名で、 村の教会の向い側にあり、この小さな村の唯一のお店(飲食店・食料品店兼業)である。葬儀時の新聞報道によれば、 チェリビダッケもこの店によくパンなど買いにきていたとのことである。
Water Mill 1, Water Mill 2, Water Mill 3 は、 チェリビダッケの水車小屋の家の写真である。この建物は、Grave 1 の写真で説明すると、 墓地と教会のほぼ中間地点から左手に少々入った場所にある。Water Mill 1は、建物が木の後ろにあってややわかりにくが、この水車小屋の家と門の全景である。 右側に見えるこの門は、東洋風の感じのするもので、Water Mill 3 が、この門だけを正面から撮った写真である。Water Mill 2 はこの水車小屋の家を斜め後方から撮ったものである。この建物の背後にも、広大な庭がある。
Mogami