先日、二回目を見た「チェリビダッケの庭」からです。掻い摘
んで並べます。
服装の話題です。大変妙に感じたのが、ラコステのポロシャツ
と紋付き(それも葵の御紋で、そして如何にも西洋人が着物を
着たのだと言う風なガウンを羽織ったようなだらしのない着こ
なしなのです)をチェリビダッケが着ていました。ポロシャツ
と紋付きを一緒に着ていたのではないですよ :-)
仏教、禅とか傾倒していたと伝え聞く通りに部屋に仏像があっ
たりするのが、やはり妙です。哲学や宗教に深く入ると、それ
らしくなるのが普通と思っていました。
こういう所を見聞きすると、どうしてもバタ臭い感じが否めま
せんでした。しかし彼が再三言語を信じていない考えをもらす
のは、禅の考えそのものですねえ。禅への理解は本物かなと言
う気がやはりします(禅僧らしくなくバタ臭いのが本物の印か
な :-)。日本贔屓に関しては葵の紋付きを羽織るなどインチ
キ臭いようです。映画ではないですが、禅寺の庭で竹箒を持っ
たところを写真に取らせて居るところもインチキ臭いと僕には
思えます :-)
部屋に若い頃の写真や家族の写真があったりしたなかで、フル
トヴェングラーと一緒の写真が飾られていたのにはちょっと心
が動かされました。
著述があったが出版を(真意が伝わらないのでとか)諦めたと
言う話題(しかし逝去後は本人の意思に反した事が平然と執り
行われているので今後どうなるのか僕には判りません)。凡人
の一人としては内容が気になります :-)
映画の手法ですが、庭でチェリビダッケが椅子に腰掛けて芝居
掛かった挙動を見せられたりすると、鈴木清順(「ツィゴイネ
ルワイゼン」など)を見ている錯覚を思えました。それから終
わりの場面でブルックナー9番第3楽章の終わりと共にチェリ
ビダッケ夫妻が消え入るようにとぼとぼと歩いているのは、や
はり芝居染みているようで、ヤラセではないかと勘ぐってしま
います。手厳しいでしょうが、独創的な所は感じられませんで
した。
僕の感想です。監督の主張は随所で感じられました。しかしチ
ェリビダッケの一貫した主張は何も受け取れませんでした。家
族の目から見た家庭人のチェリビダッケは良く出ていましたが、
偉大な音楽家像は描かれていなかったように思います。教育者
としての多くのエピソードは為になります。全編の大半を助け
ていたのは、やはり音楽です。しかし、それは録音されたもの
であり、そしてズタズタに切られてツギハギにされたものです
から、チェリビダッケには我慢ならないものだろうと思います。
凡人の僕は結構楽しめました。
--- Akira Tagata <akira at wizvax.net>, <tagata at ibm.net>