Everyone has two worlds; one is opened to outside and another is closed into inside; the public world and the private world.
Because the person cannot live alone we live together in the public world and these individuals influence mutually. On the other hand affairs and thoughts in the private world are not expressed since they are meaningless for the public world. Or they may be difficult to be expressed. For example, there will be no person who would like to know what I ate in this lunch.
In today, to the ordinary citizen, it should be the powerful way to inform their thoughts to the Internet to enrich the public world. But perhaps that private information is dispatched with ease rather it becomes obstacle.
Including self-discipline I declare here as the public space and will inform myself in publicly.
ヒトは誰もが、外に開いた世界と、内に閉じた世界を持ちます。ここでは、これを公的な世界、私的な世界と呼びましょう。
独りでは生きられないと云う意味で、当然ですがヒトは公的な世界で活動し、そうしてこれら個人が相互に影響しあいます。一方で私的な世界での出来事や考えは、表出を差し控えたい場合や、表出が困難な場合もあり、普通は公的な世界にとってあまり意味のないものです。例えば、私が今日の昼食に何を食べたかという事実自体などに興味を持つ人はあまりいないと思われます。
現代において、一般市民がインターネットを通じ情報発信できる事は、公的な世界を充実させ得る有力なひとつの手段ですが、安直に私的な情報を発信するのはかえって障害になるのかも知れません。
自戒を込めて、この場を敢えて公的な空間であると宣言し、ここで情報発信する事にしました。
Until translation completes, please wait...
大型計算機センター(大学)
当時NHK教育テレビで FORTRAN, BASIC 講座が放映されていたのを思い出す。時々見ても何のことやら全然分からなかった記憶がある。
規格書の存在を知って規格協会(赤坂)を探して入手。
JIS情報処理ハンドブックでCOBOL規格を読む。Report Writer 機能が面白いと思い、実務で使ってみた。
ハードウェア・アーキテクチャを勉強した。I社(System 360)の互換機だと知り、同時にI社の設計思想の優れた点を知った。
アセンブラ、およびシステムプログラミング言語を修得。
COBOLに比べ、きちんとした言語仕様だと知った。構造体と云う概念を知った。
オンライン処理を初めて実務で経験した。オンライン制御部分を担当。
オペレーティングシステム(メインフレーム)出口ルーチン契機を利用した計算機センター業務運用システム。課金管理、主記憶制御、補助記憶制御、入出力制御、など。複数センターへの導入を計画し一般化作業が必要となった。
単純なバグであってもすぐにシステムダウンしてしまう為、専用マシン確保が必要で深夜作業が多かった。厳しい環境だった。
国鉄民営化に伴う職員の技術者への移転(国鉄からの要員派遣を受けてプログラマ育成を担当する)。
これからはダウンサイジングの時代へ移行すると云われ始めた。メインフレームからワークステーションの技術が必要だと云われた。言語で云えば、FORTRAN, COBOL の時代は終わると云われた。
業務拡大に伴う大量採用を受けて、集中したプログラマ育成を担当する。
職安システム新規構築における、先進機器(イメージ処理端末など)のオンライン制御部分を担当。全国展開に向けてシステムは一般化する必要があった。
職安専用に新規開発された機器なので端末仕様が不安定だった記憶がある。
アセンブラを使わなくても、コンパクトなコードが書けると云う点に感心した。学べば学ぶ程に良くできた言語だと知った。パソコンで手軽にコンパイラが使えるのも新鮮だった。コンパイラはメインフレームで使うのが常識だった。
通産省シグマ仕様のワークステーションを導入してツールを評価し、プロジェクト宛にレポートした。
始めてUNIXに触れた。シグマよりもUNIXに興味を持った。
PerlはUNIXの単体ツールを統合したようなソフトだと知った。その上、単なる寄せ集めでなく、整理された統合を試みているのも知り感心した。
最初の商用個人向けISP(アスキー)でインターネット接続を試みた。WWWから大きなインパクトを受けたのを思い出す。
同僚と一緒に、CERNサーバ、NCSAサーバなどを設置して試用。この頃、HTMLを初めて書いた。また同様にメールサーバも設置しLAN内でメール交換を試した。
当時は高速の64Kbps公衆網(ISDN)経由でインターネット接続した。公衆MODEMより大層速く感じた。
LAN経由でダイアルアップできる為、事務所内の多ユーザが利用可能となった。しかし、細い64Kbpsにパケットが殺到する事になった。負荷を軽減する目的で設置したプロキシサーバが効果的だった。
専用線経由で初めて常時接続をした。常時接続なのでメールの到来に対応が可能となり、本格的なインターネット利用を実感した。TIS FWTK を活用して、Screened Subnet 方式のFirewallも構築した。
この頃、複数拠点をISDN接続し、WANを構築した。各拠点からインターネット利用が可能となった。
時代遅れPCにLinuxを搭載し、サーバ利用とした。廃品同然のハードウェア利用の為、機器の費用は節約できた。LANは低速な為、サーバ利用としてこれで十分だった。
この頃、CGIスクリプトを書くようになり、動的なHTML生成を体験した。Webサーバはapacheを利用。
イントラネット構築で、ユーザサービスを実現する為にPHPを用いた。
事務所が保有する加入電話を整理して、それらを一元的にISDN(100M)化した。当時はまだ光ケーブルが事務所の近くに届いていなかったので、契約に合わせて、NTTが幹線道路から引き込んだ。こう云う場合の費用はNTT負担だと初めて知った。
大規模メールボックスの分割運用処理を開発
技術力底上げを目的に、広範な講座を企画推進(外部の講師、講座を予算化して利用)する。
ADSLサービスが始まり、事務所で導入した。初期のADSLとは云え、専用線よりも格段に高速で、Webアクセスが結構速いのに驚いた記憶がある。
事務所内のWebアクセス・トラフィックをADSLに振り向ける対応をとった。専用線はメール受信が主になった。
NTTに比べ格安で100Mbpsサービスを提供する第一種通信業者(アイ・ピー・レボルーション)がサービスを開始し、事務所の近くで営業展開を始めた。早速契約し(当時はまだJPNICに申請しIPアドレスを得て)、接続した。ISDN(100M)が引かれているので、光ケーブル引き込みに大きな障害はなかった。
LANも全面100M化、Firewall周辺は高速スイッチ化、構築し直した。
インターネット、LAN高速化に合わせて、再構築。
複数Webページのデザインを統一化するソフトを開発。
自由度の高いVPS業者を見付け、サイト設置した。
当該VPSは業者側で基本設定のみ(sshなど、リモートloginで必要なもののみインストールされた状態)で引き渡され、その後利用者側が個別に必要サーバ設置(Web,DNS,Mailサーバなど)を済ませる。
開発ソフトの有用さ検証の意味も含め設置。図書館サイト、好事家サイト、など。
カラーブラウザーの実装を契機にJavaScript利用を始め、オブジェクト指向プログラミングの学習を兼ねて、習作ソフトを作成、Automataサイトにまとめる。
アニメーション実装を試み、Aerobic Dance Animation サイトにまとめる。
XHTML, JavaScript の学習を通じて得た知識を整理し、Markup? サイトにまとめる。
JavaScriptに興味を持ち始め、ECMAScript言語仕様を読み始める。想像以上に良くできている言語だとの認識を深める。JavaScriptは「おもちゃ」のようにしか使われていない現実が分かってくる。
いままで実装してきた小サイトのプログラムから、一般に利用可能と思われる部分を切り出し、より一般化を加え、GPL付で配布する構想を得る。
要となる free software signature のアイディアから、単機能ソフトを書き始め、Use?としてまとめる。
運用中。